「君の膵臓をたべたい」を読んで思うこと。「明日は当たり前ではない」

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君の膵臓をたべたい

 

小説は割と読む方なのですが、今更になって、君の膵臓をたべたいを読みました。

映画化や、2018年にはアニメ化もされるようです。本の帯に50万部突破と書かれているので、人気作です。

衝撃を感じるタイトルとは裏腹に、内容に残酷なものは無く、ただただ優しいお話ですので、タイトルで切っていた方は読んでも大丈夫だと思います。

 

高校生の日常を描いており、その日常を大切に生きていくことで、主人公の男の子が少し、変わっていく、そんな優しいお話です。

以下の項目はネタばれも含みますので、ご注意ください。

 

明日がちゃんと来るかはわからない

この物語は、確実に待っている死に対して、どうやって生きるか、ということを描いています。

ヒロインが、少なくとも主人公よりは早く死ぬ、という状況で、2人でいる日常が特別であると気が付き、それでも当たり前に時間は過ぎてゆく
と言った、悲しくも優しい物語です。
少なくとも 明日の無い人間が感じる孤独や絶望を、文章だけでは感じることができません
ここは素晴らしいと思って読んでいましたが、ヒロインは死を受け入れ、普通に生活しています。そして、悲しみを見せる描写をほとんどしないのです。

ここに、私という読み手が「もうすぐ死ぬわけだから、あえてこう言っているんだろうな」と想像する余地があり、読み手の中でのヒロイン像というものが出来上がっていく。
上手だなと、ただただ感心していました。

明日は無くなっているかもしれない

 

この作品を読んで、思うのは、明日は約束されていない、ということです。

このヒロインの言葉からは、諦めと希望を私は想像していました。

死を受け入れながらも、残された時間を精一杯幸せに生きようとする姿が描写されています。

 

これは、別にこのヒロインに限ったものでは無いなと感じます。

私も、いつかは死にます。

 

始まる前にこんなことを言うのもどうかと思いますが、ガチョックも、いつか無くなります。

私が死んだとき、有岡さんが死んだとき、瀬川さんが死んだとき、後継者がいなければ、続けてはいけないでしょう。

今、たくさんある福祉施設も、いつかは無くなります。

無くなるのが、明日かもしれないし、10年後かもしれません。

いつか無くなる、その日まで、良い施設でありたいものですし、満足して生きていければと感じました。

毎日を繰り返していく中で、忘れがちになる、生き方ということを、思い出させていただける、良い作品だったと思います。