学校に行きたくない。行かなかったときはどうなるのか。

ガチョック作業室 Nikon D90にて撮影

 

目次

行きたくない、は当たり前にある

 

学校に行きたくないということは、普通にあることです。

私も、実はあまり行きたくないと考える人でした。

どちらかというと、不登校の気質を持っていると自覚しています。

実は、小学生の頃に何度も学校に行きたくないと親に言いましたが叱られ、強制的に通学をさせられていました。

普段は近所の仲の良い友人と一緒に登校していましたが、どうやら、私が学校に行きたがらないので親がその子にお願いをしていたようでした。

私自身は友人もいましたし、いじめられていたわけでも、人間関係で悩んでいたわけでもなく、ただただ億劫だっただけでした。何故そんなことで、と思われるかもしれませんが、そうだった、としか言えません。

そして、類は友を呼ぶ、という言葉があるように、友人には不登校の方が多かったと思います。

私たちの親の世代では、あまり考えられないことですが、不登校や、学校に行きたくないと感じることは当たり前にあって、それは日常の一部になっています。

それを行動に移した際に、問題と捉えるかどうかは周りから見ている人の価値観によるものです。

 

行きたくないなら行かなくて良いのか

 

学校に行きたくないという思いには、それぞれの理由があります。

私が感じていた理由は私自身のもので、決して他の誰かと同じものではありません。

保護者にも、それぞれの価値観があります。

私の親のように、どうしても学校には行きなさいと言う親もいるでしょうし、行きたくないなら行かなくて良いと言う親もいるでしょう。

そのどちらが正解というわけでもありません。

私は今年で33才になりますが、学校に無理やり行った私、行かなかった友人。

それぞれはそれなりに生きています。もちろん、学歴を見られるような大企業に勤めることは難しいですが、それは私も同じで大差はありません。

33才になる今、言えることは、学校に行く、行かないに関わらず、本人なりに自分の人生を生きることが出来るということです。

中には、高校を辞めた後に働きましたが会社でその肩書を馬鹿にされ「学歴が重要だ」と思い、猛勉強を始め、有名な大学に入学して就職した方もいます。

ガチョックの瀬川さんも不登校でしたが、学校の在り方に疑問を感じ、教員免許を取得する道を選びました。

本人が学校に行く行かないは重要ではなく、自分の人生を考え、何をするのかが重要だと言うことです。

そのことを踏まえた上で

行きたくないなら行かなくてよい、というのは難しい問題です。

学校に行って後悔している人、行かなくて後悔している人

学校に行って良かった人、行かなくて良かった人

それぞれの人生があります。

学校に行く、行かないという選択肢を迫られた際に、本人の人間性を考え、本人にとって何が良いのか、どう生きていくのかということを考えた上で選択が必要です。

 

ガチョックという居場所

 

学校に行かないときは、ガチョックは居場所として開放もしておりますので利用することも可能です。

特に目的無く遊びに来たり、話しにきていただいて大丈夫です。

社会福祉士、精神保健福祉士、教員免許所持者、偉そうな肩書が並んでいますが、なんて事は無い、ただの人の集まりです。

私たちは偉そうなことは特に言いません。1人の友人として、話しかけていただいて大丈夫です。

もちろん本当に困ったことがあって、相談に来られる場合は、私たちが持っている専門知識を使って支援していきます。

また、通所者の中にも不登校を経験した方もおられます。

もしかすると、私たちなんかよりも、よほどそういった方と話しをするほうが有益だったりするかもしれません。

興味のある方は、お問い合わせからメールを送信してみてください。